何の為に仕事をしているのか?もちろんお金の為でも良いです。
でも僕はどうせ働くなら人の役に立ちたいし、その為に自分がスキルアップしたいです。
それを実行しやすくする為にセミリタイアしたのですが、セミリタイアしても人間関係で悩んでしまいます。僕ってそんなに嫌われるんかな?コミュニケーションが下手なんかなと凹んでしまいます。
そんな中、ことを成すのが大事と思った話です。
目次
誰も自分の価値観を持っていてそれが正義や勝ち負けに繋がる
誰もが自分の価値観をもっています。言い方を変えれば正義を持っていると言えるのかも知れません。
価値観が全く同じ人間なんていないので、違う価値観を持った人を認めどれだけ分かり合えるか大事だと思います。まあ、分かり合うのが難しければ、分からなくてもそれを認めるだけでも十分だと思います。もちろん自分に実害がないのが前提にはなります。
でも人は自分の価値観を正義とまで思ってしまい、自分の価値観や正義と違うものは認めないとまでなってしまいがちです。正義は一つ、違う正義が許せないのです・・・。
正義迄いってしまうと、違う正義が許せなく、どっちが正しい正しくないとなり、勝ち負けまでなってしまうのだと思います。
分かり合えない人がいるので勝ち負けとかではないと気づいた
世の中、分かり合えない人がいると最近気づきました。
分かり合えないと決めつけてるのはダメで、僕は分かり合う努力はしますが、それでも無理な人はいると気づいたのです。こちらはコミュニケーションを取っているのに、そのコミュニケーションすら拒否する人がいます。分かり合えると信じて、必要以上に分かってもらおうと努力するとお互いしんどくなってしまうのです。
この記事で書きましたが、挨拶をしない人に、立ち止まって挨拶を相手がするまで挨拶をし続けてもお互い疲れるだけです。こちらが挨拶をして相手が無視するなら仕方ないのです。
もう勝ち負けとかですらないです。
ことを成すを大事にする
勝ち負けではなく、ことを成すことを大事にする考え方もあると思いました。
自分の正義や正当性を伝えても分かってもらえないなら、分かってもらう事を目指すのではなく、結果を重要視して行動していく方法もある、そう行動しようと考えました。
多分、生まれて初めてそう考えたと思います。48歳で初めてやったら遅いかも知れません。まだまだ未熟ですいません。お子様ですね(笑)
その方がお互い良い気がします。
これは僕が今まで基本話したら分かってもらえると思っていたから、こんな発想にはならなかったのでしょう。あとは自分の正義を貫きたい人なんでしょうね。プライドが高いのかも(笑)
正論をいう時ほど気をつけた方が良いとよく聞きますし、僕もそんな記事を書いた事がありました。これは分かり合える事を前提としての話です。
でも分かり合うのが非常に困難な人と接する場合には、正論もいう必要がないと気づきました。
最後に 48歳にして大人の階段を昇った??
- 誰もが自分の価値観や正義を持っている。それが正義にまで行くと勝ち負けになりやすい。
- こちらが分かり合う努力をしても相手は拒否する場合がある。分かり合えない人はいる。
- 「分かり合う」よりも「ことを成す」を大事した方がお互い良い場合があると気づいた。
といった事を綴ってきました。
48歳にして僕はやっと、「分かり合う」よりも「ことを成す」を大事した方が良い場合があると気づきました。僕は話し合えば分かり合えると思っていたのです。でも48歳でそうではない人もいると気づきました。大人の階段を一つ昇ったのかも知れません(笑)
これは良い意味での大人になるってことなんかな?
でも、まあ、分かり合わずに「ことを成す」ってことは基本したくないです。分かり合って1+1が3にも4にもなる様な仲間と僕はことを成していこうと思っています。その為のセミリタイアです。
今回は特別に分かり合えない人達への立ち振る舞い方に気づいた。大人になったのかも知れない、れくいでした。
関連記事 友達も選べる様に、仕事仲間も選べるのがセミリタイア
私事の記事を最後まで読んでもらってありがとうございました。